工夫で大体どうにかなる

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Q.ポーカーやって何か意味あんの? A.あります!

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ポーカー、昔むっちゃやり込みました。

おかげで色んな凄い人の意見に「あー、分かるわー」と賛同できるようになったのは、思わぬ産物です。

私はずっとテキサスホールデムポーカーのSit & Goという8名によるサバイバル戦をやっていました。 

ポーカーといえばハッタリ!...というイメージがありますが、このルールで下手にハッタリをかませば、待ってましたと言わんばかりにカウンターパンチを喰らいます

なら、ただ強いカードを引いた方が勝ちかって?いえいえ、そんなことはないですよ。

 

 

運ゲー?いいえ、脳ゲーです!

 

ポーカーで勝つために最初に頭に叩き入れないといけないことは、いかにトータルで勝つか、です。

目の前の一戦一戦で一喜一憂なんてとんでもない!

例えば、64%の確立で勝てる勝負があるとしますよね?

1、2回だけその勝負に参加したら、負けて終わるかもしれませんが、そんな勝負に参加しつづけたら確率論的にトータルでは勝つでしょう。

自分の勝つ確率は、欲しいカードをひく確率、相手の行動からの手札予測、相手が欲しいカードをひく確率などから、わりと出ます。

それに勝った時のリターンの計算に入れて、いかに「これを繰り返せば勝つ」行動を取れるかが基礎です。

たまに結果主義と経過主義の優劣の議論がありますが、ポーカーでは結果のために経過を重要視します。

 

 

降りる勇気

 

ポーカーではいつでも勝負から降りて、次の勝負に新しい手札で挑めます。

ただ、降りる前にチップをかけていたら、そのチップを失います。

なので、強い手札が最初に配られ、ついつい自分からチップをかけたのに雲行きが怪しくなった時、とても苦しいです。

他にも、そこまで悪く無い手札だった時、相手が掛け金を少しづつ釣り上げてくることもあります。

これらは基本的に降りた方がよい状況です。

ただ、こういった時に降りるのがとても勇気がいります。もしかしたら、ポーカーにおいてもっとも勇気が必要な時かもしれません。

「もしかしたら勝てるかもしれない」

「掛けたチップが無駄になってしまう」

そんな思いが胸の奥底から湧き上がってきます。

しかし、降りなかったらもっと多くのチップが無駄になります。

最悪なのはズルズルと戦い続けることです。

相手はそれを狙っています。

慣れてくるとそれを学習して、むしろそういう状況で降りるのが快感になります(笑)

「あぁ、俺は今、感情に囚われずに最善手を打っている」とか思い始めます。

なので、「この橋には500億かけたんだ。あと200億出して完成させないとそれが無駄になる!」はポーカー的には負けパターンです。

 

 

自分の考えと身投げする

 

さきほど、降りることがもっとも勇気を必要とするかもしれないと言いました。

そう、一世一代の大勝負をする時は、案外勇気が必要ありません。

何故かと言うと、どんなに大きな1手だろうと十分に考えていれば「この1手で負けてもいい。この1手と身投げしよう」と思い始めるのです。

(あの安心しながら崖から飛び降りるような感覚は不思議なものがあります)

テキサスホールデムポーカーは実力差がはっきりと出るゲームです。

しかし、短期的には運で敗北しても不思議ではありません。

なので、「この状況ではこれが最善」と思える1手なら、それで負けてもいいのです。

もちろん、負けても何とも思わないわけではありません。

特に、有利に運んでいたのにその1手で覆されたりした時など、とても悔しいです。

枕をボスボス殴りたくなります。

ですが、ポーカーとはトータルの勝率を競うものです。

極端な話、今の一試合を確実に勝つことと、勝つ確立を1%上げることを天秤にかけるとしたら、後者を選びます。

 

 

次を考える

 

ポーカーと言えばギャンブル。ギャンブルと言えば刹那に生きる。

そんなイメージもあると思います。

しかし、ポーカーで勝つためには、刹那がどうでもいいです。

ポーカーが上手いということは、勝つのが上手いのではなく、勝ち続けるのが上手いのです。

1回の勝負で勝ちたければ、全ての戦いに出ればいいのです。1回ぐらいは何も考えなくても勝てます。

勝ち続けるためには、行動一つ一つが次に繋がっていないといけません。

そしてそれは、ポーカーだけに限ったことではないと思います。

人生も同じだと思います

私は、ポーカーをやり込んで良かったと思っています。

何故なら、ポーカーを学ぶことで、人生についても学べたからです。