工夫で大体どうにかなる

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「自分をよりよくしたい=今の自分の否定」は違う

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自分の成長が極コク豚骨ラーメンより好きです。

 

でも、「自分をより良くしたい」と言うと、人によっては「自分をよりよくしたい=今の自分の否定」と感じる人も人もいるみたいですね。

 

ちょっと今日はそのへんの誤解を解いてみたいです。

 

 

 

否定がモチベーションは辛い

確かに、「自分をよくしたい=今の自分の否定」という人もいるにはいますね。

 

でも、それって辛いと思います。何故なら、幸せが「たられば」だからです。

 

「自分が変われば」「金が稼げるようになったら」「顔さえよければ」

 

そういう風に幸せに条件をつけなくても、今すぐにでも自分を好きになることで幸せにはなれます。

 

「改善の余地がある=悪い」じゃない

そもそも、よりよく出来るからといって、悪いことではないです。

 

人は無限に等しい有限の可能性を持っているんですよ?

その可能性が悪いわけありません。

 

正直、結構多くの人が減点方式病にかかっていると思います。

 

まず満点があって、そこからひいていく方式で物事を考えれば、確かに改善の余地は悪いことでしょう。満点ではないのですから。

 

でも、その理論でいくと人って永遠に成長できませんよね?

今の自分を正確に認識しなかったら、努力も工夫も合ったものじゃありません。

 

そもそも良い悪いで好きになるものでもない

大体、仮に今の自分が良くないとして、それがどうだって言うんですか?

 

愛着っていうのはスペックが理由で生まれるものではないと思います。

 

車好きがスペックを理由に買い換えていたら、それはただスペックを愛しているだけですよね?

 

愛車っていうのはスペック抜きに愛するから愛車。

 

そう思いませんか?

 

 

好きは好き。より良くしたいはより良くしたい

 

好きは好きで独立した気持ちです。その気持ちと向上心や好奇心、それにチャレンジ精神はまた別な気持ちです。

 

それらの気持ちは人が心体た共に健康ならナチュラルに現れるもの。

 

確かに過競争も見受けられる現代です。生きるために競争と成長を強制されることもあります。

 

だからこそ他者の考えに振り回されずに、自分自身の意思で成長を試みることが大切だと思います。